第9話 シャチを探した海で|静寂の中で出会ったクジラ

モントレー港に停泊するホエールウォッチング船ATLANTIS MONTEREY ・家族旅行

前日は、モントレーの海岸を歩き、野生のラッコやイルカを見つけ、モントレーベイ水族館を訪れ、Cannery Rowを歩きました。

アメリカに到着した初日は、予定外の出来事が起こるたびに焦っていました。

それが二日目には、予定通りに進まないことさえ楽しめるようになっていました。

そして三日目。

いよいよ今回の旅の最大の目的、ホエールウォッチングの日です。

娘の「本物のシャチを見たい」という夢に、少し近づけるかもしれない日でした。

ところが、その朝は思い描いていたものとはまったく違う形で始まりました。

まさかの寝坊

深い眠りの中で、妻に起こされました。

時計を見ると、

7時。

一瞬、何が起きているのか分かりませんでした。

遅くとも7時30分には家を出なくてはいけません。

前日の疲れもあって全く準備をしておらず、親は6時には起きて準備を整えた上で7時15分に子ども達を起こす予定でした。

ところが、目を覚ました時点ですでに7時。

いきなり時間がありません。

妻と大急ぎで準備をしました。

そしてこの日の最大の心配は船酔いでした。

準備しつつ子どもを起こして、とにかく酔い止めを飲ませます。

リビングへ行くと、テーブルにはケイさんが用意してくれた食べ物が置いてありました。

前日に子どもたちが作ったピザ、フルーツに加え、軽食用のクラッカー

さらに、船酔いに効くという生姜の飴まで用意してくれていました。

気遣いが本当にありがたく感じました。

荷物を持ち、急いで車に乗り込みました。

まさかの寝坊でしたが、いよいよ、シャチを探しに出発です。

ホエールウォッチングの出発地、モスランディングへ

モントレー周辺には、ホエールウォッチングのツアーがたくさんあります。

前日の朝ランで訪れたFisherman’s Wharfにも、いくつものツアー会社がありました。

ただ、私たちが選んだ出発地はそこではありません。

モントレーからさらに北にある、**Moss Landing(モスランディング)**です。

子どもたちの船酔いが心配だったため、できるだけ目的の海域までの移動時間を短くできないかと考え、こちらから出発するツアーを予約していました。

ホームステイ先から車で40分ほど。

無事にモスランディングへ到着しました。

ところが、ここからまた苦戦が始まります。

受付はどこ? 駐車場は? トイレは?

モスランディングにはヨットハーバーがあり、周辺には駐車スペースもあります。

ところが、Fisherman’s Wharfのように、

「ここがホエールウォッチングの受付です」

と一目で分かるような場所が見当たりません。

どうしたものかと周囲を見ていると、近くに車を停めたアメリカ人家族のお母さんが、港にある事務所のような建物へ歩いていきました。

「たぶん、あそこだろう」

私たちもついていってみます。

ところが、その事務所は別のツアー会社でした。

私たちが予約した会社は隣にあるとのこと。

探してみると、受付は小さなトレーラーハウスのような建物でした。

受付開始は8時30分。

待っている間にトイレを探しますが、今度はトイレが見つかりません。

いったん受付へ戻り、予約の確認をしてもらいます。

名前を伝えましたが、なかなか通じません。

そこでスマートフォンの予約メールを見せると、ようやく照合できました。

続いて駐車場所を尋ねると、

「右へ行って、突き当たりを右」

というような説明をしてくれました。

ところが、私の頭の中では「このまま港の奥へ進む」と解釈していたので、どうにも位置関係が分かりません。

その先は海です。

困っている私を見て、受付の女性がわざわざトレーラーの外まで出てきてくれました。

今いる駐車場を一度出る。

右へ曲がる。

橋を渡る。

もう一つの埠頭へ行って、そこを右へ。

身振りも交えて説明してくれて、ようやく理解できました。

教えてもらった埠頭へ行くと、比較的大きなクルーザーの周りに10人ほどの人が集まっています。

「今度こそ、ここだ」

ひとまず安心しました。

ところが今度は、どこに車を停めればいいのか分かりません。

受付近くで見かけたアジア系のカップルがいたので、

「このツアーですか? 車はどこに停めました?」

と聞いてみました。

どうやら同じツアーの参加者で、車は路上に停めたとのこと。

日本にいると路上駐車にはかなり抵抗があります。

ただ、ケイさんからも、こちらでは路上駐車は珍しくないと聞いていました。

周囲の様子を確認して、私たちも車を停めました。

これでようやく船に乗れる。

……と思ったら、子どもたちがトイレに行きたいと言い始めました。

そして、チケットまでない

受付の近くにトイレらしき建物があったことを思い出し、再び戻ります。

しかし、扉には鍵がかかっています。

よく見ると、小さな看板がありました。

トイレは、旗のポールの近くにある別の建物とのこと。

行ってみると、確かに小さな建物があります。

日本なら男女のマークなどがあって、すぐトイレだと分かりそうなものですが、外から見ただけでは私にはまったく分かりませんでした。

なんとかトイレを発見し、子どもたちも無事に済ませます。

モントレーで見つけたRESTROOMSと書かれたトイレ案内の看板
旅の途中で見つけた「RESTROOMS」の看板。こうした何気ない英語表記にも、海外を旅していることを実感しました。

再び船着き場へ。

ホエールウォッチングの参加者が続々と集まり、いよいよ乗船が始まります。

ゲートの前でチケットを見せる番になりました。

そこで気づきました。

チケットがない。

どこに入れたのか分かりません。

車の中も探しましたが、見つかりません。

ここまで来て船に乗れないのか。

スタッフにチケットをなくしたことを伝えます。

予約はしているのかと聞かれたので、スマートフォンの予約メールを見せました。

するとスタッフは、

「OK」

と言って、船に乗せてくれました。

受付、駐車場、トイレ、そしてチケット。

出航する前から、なかなか簡単には進みません。

それでも、なんとか船に乗ることができました。

モントレー港でホエールウォッチング船を見つめる家族
いよいよホエールウォッチングへ。目の前に停泊しているATLANTIS MONTEREYに乗って、シャチを探しにモントレー湾へ向かいます。

静かな海に現れたクジラ

さらに、想定外だったのが寒さです。

そもそも、この旅に「ダウンジャケットが必要になるほど寒い」という感覚がありませんでした。

ところが、参加者の多くは機能性の高いダウンを着ていました。海に出てみると思っていた以上に寒い。

日本からライトダウンは持ってきていたのですが、この日はケイさんの家に置いてきてしまいました。

仕方なく、予備で持っていたフリースを着て寒さをしのぎます。

そして船はモスランディングを離れました。

空は曇っていましたが、海は比較的穏やかです。

すでに沖には何隻かの船が出ています。

ホエールウォッチング船の船内から海を眺める乗客たち
港を出て、いよいよモントレー湾へ。船内から海を眺めながら、シャチとの出会いを期待します。

船上ではスタッフがいろいろと説明してくれていました。

しかし、私には英語がほとんど聞き取れません。

何か面白そうな話をしていることだけは分かる。

でも、その内容が分からない。

「もっと英語を勉強しておけばよかったな」

そんなことを考えていました。

子どもたちは、寒さと船の揺れが思った以上にきつかったようで、少し体調が悪そうです。

モントレー湾のホエールウォッチング船に乗る家族
予想以上の寒さの中でのホエールウォッチング。それでも、家族でこの海まで来られたこと自体が特別な経験でした。

しばらくすると、船室の外にいた人たちがざわつき始めました。

「何かいるのか?」

私と娘も外へ出ます。

そのうち、クルーザーのエンジンが止まりました。

それまで聞こえていたエンジン音が消え、あたりが急に静かになります。

海の上で、みんながクジラの姿を待ちます。

すると静かな海の中から、クジラが呼吸をするためにゆっくりと姿を現しました。

広い海。

派手な演出も、大きな音もありません。

ただ静寂の中で、野生のクジラが海面に現れ、呼吸をして、また海へ戻っていく。

その光景には、言葉にするのが難しいほどの自然の厳かさがありました。

今回の旅の目的はシャチを見ることです。

でも、この瞬間だけはシャチのことを忘れて、目の前のクジラを見ていました。

私個人にとっても、とても貴重な経験になりました。

クルーズの途中、スタッフがバケツを持って何かを説明し始めました。

バケツの中をのぞくと、青いプラスチック片のようなものがいくつも入っています。

「海に捨てられたプラスチックの説明かな?」

そう思いました。

ところが船の外を見ると、同じような青いものが海面にもたくさん浮かんでいます。

あまりにも多い。

人工物にしては、少しおかしい。

スタッフは一生懸命説明してくれていますが、やはり英語が分かりません。

結局、その場では何なのか理解できないままでした。

日本に帰ってから調べてみると、驚きました。

あれはゴミではなく、カツオノエボシという生き物だったようです。

青紫色の浮袋を海面に浮かべて漂う、刺胞動物の仲間です。

英語では「Portuguese man o’ war」と呼ばれます。

おそらくスタッフは、目の前の海にいるこの不思議な生き物について説明してくれていたのでしょう。

それなのに私は、その場ではほとんど理解することができませんでした。

英語が分からないということは、単に会話ができないだけではない。

旅先で目の前にあるものを知る機会まで逃してしまうことがある。

このときも、英語をもっと勉強しておけばよかったと強く思いました。

モントレーの海岸の岩場で見つけたカツオノエボシ
海岸での磯遊び中に見つけたカツオノエボシ(水色の石のように見えるもの)。※写真は別の場所で撮影したものです。

遠くに見えるものが、全部シャチに見える

その後も船は海を進みます。

何度かクジラを見ることができました。

でも、私たちが探しているシャチは姿を現しません。

海面に何か黒いものが見えるたび、

「シャチじゃないか?」

と思ってしまいます。

遠くに見えるものが、全部シャチに見えました。

スタッフも何かを見つけたのか、遠くに見えるものへ向かって船を進めたことがありました。

「もしかして……」

期待しながら海を見ます。

しかし、近づいてみると――

ラッコでした。

ラッコも十分に珍しいはずなのに、このときばかりは少し残念に感じてしまいます。

その後もシャチを探しました。

しかし、ついに船は港の方向へ向きを変えました。

帰る時間です。

はるばるモントレーまで来たが、シャチには逢えなかった。

娘は、

「もう一度、クルーズに出たい」

と言いました。

ただ、いつもの娘のように何度も言うことはありませんでした。

寒さも、船の揺れも、時差ボケもあったのでしょう。

家族みんな、かなり疲れていました。

帰りの船では、みんな眠ってしまいました。

港へ戻った頃には、すでに昼を回っていました。

ホエールウォッチングを終えてモントレーの港へ戻る船内の家族
ホエールウォッチングを終え、モントレーの港へ。寒さと船の揺れ、時差ボケも重なり、帰りの船では家族みんな疲れ切っていました。

シャチには逢えなかった。でも、一日はまだ続く

この日は午後にも予定がありました。

モントレーで年に一度開かれるという、地元のフェスティバルです。

ケイさんの子も楽しみにしていると聞いていたので、まずはいったん家へ戻ることにしました。

13時過ぎに到着。

ケイさんに昼食をごちそうになり、少し休んでから街へ向かいます。

フェスティバル会場には、映画で見るような移動式の遊園地があり、雑貨や食べ物の屋台が並んでいました。

ステージでは地元の人たちによる演奏が行われ、空手クラブの披露もあります。

子どもたちは、まず海賊船のアトラクションへ。

息子はその後、ゴム鉄砲の射的にも挑戦しました。

ところが、思うようにいかなかったようで、ぐずり始めてしまいました。

でも、今振り返ると、射的がうまくいかなかったことだけが原因ではなかったのだと思います。

朝から慌ただしく出発し、寒い海の上で船に揺られ、そのままフェスティバルへ来ていました。

息子は、本当に疲れ切っていました。

その後もなかなか機嫌が戻らず、妻と一足先に家へ戻ることになりました。

家に着くと、すぐにベッドで眠ってしまったそうです。

やっぱり限界だったのでしょう。

一方、娘はケイさんの子と一緒にフェスティバルを楽しんでいました。

会場では、ケイさんの子が習っている音楽の先生の演奏も聴きました。

トロンボーンを演奏する、とても格好良い先生です。

地元の子どもたちが習い事をして、その先生が地域のお祭りで演奏する。

空手を習っている子どもたちが、家族の前で日頃の練習の成果を披露する。

アメリカに来ていると、見るものすべてが日本とは違って見えていました。

でも、こうして地域のお祭りに参加してみると、

ここにも、日本と同じような日常がある。

子どもが習い事をして、親がそれを見守り、休日には家族で地域のお祭りへ出かける。

暮らしている場所や話している言葉は違っても、家族の日常は意外と似ているのかもしれないと思いました。

娘と準備した結婚記念日

娘はケイさんの子と一緒に、まだフェスティバルを楽しんでいました。

そこで娘が買ってもらったものがあります。

シャチの髪留め。

朝から何時間も海を探して、本物のシャチには逢えなかった。

それでも、その日の午後、娘の手元には小さなシャチがありました。

会場を歩いていると、娘がマカロンの屋台を見つけました。

娘はケイさんの子と一緒にマカロンを購入。

そして私たちには、もう一つ買いたいものがありました。

数日後の5月6日は、私たち夫婦の結婚記念日です。

せっかくなので、妻に何か渡したい。

娘と一緒に選んだのは、マカロンで作られた花束でした。

旅先のモントレーで、娘と一緒に妻への結婚記念日のプレゼントを準備する。

日本にいたら、こんな形で娘とプレゼントを選ぶこともなかったかもしれません。

この花束は、妻にはまだ内緒です。

その後、ブックストアカフェにも立ち寄りました。

そこでコーギーのポストカードとシャチの本を購入。

シャチの本は、

「これなら少しは英語の勉強になるかもしれない」

という淡い期待も込めて買いました。

朝、船の上で英語を理解できなかったことが、まだ頭のどこかに残っていたのかもしれません。

さらに会場を歩いていくと、小動物と触れ合えるコーナーがありました。

ウサギや小さなヤギがいて、子どもたちが動物と触れ合っています。

ところが、そこで娘が懐かれたのは――

動物ではなく、小さな女の子でした。

3歳くらいでしょうか。

いつの間にか娘のそばにいて、すっかり懐いています。

動物と触れ合うためのコーナーに来たはずなのに、娘はなぜか現地の小さな子と仲良くなっている。

その様子がおかしくて、見ているこちらも笑ってしまいました。

朝はシャチを探して広い海を見つめていました。

午後は地元のお祭りで、娘と結婚記念日のプレゼントを選び、現地の人たちの日常の中で過ごしている。

シャチには逢えませんでした。

でも、予定していなかった時間が、この日にもたくさん生まれていました。

モントレー周辺で開かれていた地元イベントの会場
ホエールウォッチングの後は地元のイベントへ。観光地だけではない、そこで暮らす人たちの日常に触れる時間になりました。

夢は、まだ終わっていない

夜、ホームステイ先へ戻る頃には、私もかなり疲れていました。

夕食後は、子どもたちがクッキーを作っていました。

昼食も遅かったので、それほどお腹は空いていません。

でも、

「せっかく子どもたちが作ったんだから」

と一枚食べてみます。

これが、思っていた以上においしい。

結局、3〜4枚食べてしまいました。

眠い目をこすりながら、この日もケイさんといろいろな話をしました。

気づけば、あっという間に時間が過ぎていました。

長い一日でした。

朝起きた瞬間から時間に追われ、受付を探し、駐車場を探し、トイレを探し、チケットまで探した。

ようやく船に乗り、野生のクジラを見ることができた。

見たことのない海の生き物にも出会った。

そして、静かな海の上でクジラが呼吸する姿を待った時間は、私にとって忘れられないものになりました。

でも――

シャチには逢えませんでした。

この旅を計画するきっかけになった、娘の「本物のシャチを見たい」という夢。

日本から海を越えて、ついにシャチがいるかもしれない海まで来ました。

それでも、野生の生き物は人間の予定通りには現れてくれません。

娘は「もう一度、クルーズに出たい」と言いました。

その言葉を聞きながら、私も思っていました。

まだ、終わっていない。

モントレーで過ごせる時間は、もう少し残っています。

夢を叶えられるかどうかは、まだ分かりません。

でも少なくとも、この日の海で分かったことがあります。

ここまで来たからといって、夢が必ず叶うわけではない。

それでも、もう一度挑戦することはできる。

そんなことを考えながら、モントレーでの三日目が終わりました。

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第10話へ続く(準備中)


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