第一話
1. すべての始まり
すべての始まりは、一昨年の年末に訪れた鴨川シーワールドでした。
当時の娘は、シャチに特別な興味があったわけではありません。今思えば、シャチという生き物の存在すら、ほとんど認識していなかったのではないかと思います。
そんな娘が初めて目にしたのが、鴨川シーワールドのシャチショーでした。
巨大な体で水面から高く跳び上がり、観客席まで届くほどの豪快な水しぶきを上げるシャチ。その迫力に、会場からは歓声が上がります。そして何より驚いたのは、その大きな体をトレーナーさんの合図に合わせて自在に動かし、息の合ったパフォーマンスを見せる姿でした。
ショーが終わった後、娘は興奮した様子で何度もこう言っていました。
「シャチってすごい。」
それは、単なる「楽しかったね」という感想ではありませんでした。初めて出会った生き物への純粋な驚きと憧れ。その小さな一言が、やがて家族を太平洋の向こう側へ連れていくことになるとは、このときの私たちはまだ知る由もありませんでした。
2. シャチに夢中になる
私たちは、「楽しかったね。また行けたらいいね。」くらいで終わるものだと思っていました。
子どもには、その時々で夢中になるものがあります。しばらくすると別のものに興味が移っていくことも珍しくありません。だから、最初はシャチもその一つなのだろうと思っていたのです。
ところが、娘の「シャチ熱」は冷めるどころか、日に日に大きくなっていきました。
「またシャチショーを見に行きたい。」
そう言って、鴨川シーワールドへ何度も足を運ぶようになりました。図書館ではシャチの本を借り、自宅では何度も読み返します。シャチのぬいぐるみや文房具などのグッズも少しずつ増えていきました。
そして、ある日、娘は真剣な表情でこう言ったのです。
「将来、シャチのトレーナーになりたい。」
最初は「シャチってすごい」と目を輝かせていた娘の憧れは、いつの間にか「将来の夢」へと変わっていました。
どうやらこれは、一時的なブームではなさそうでした。
3. トレーナーさんとの出会い
何度もシャチショーを見に行くうちに、娘にはもう一つの目標ができました。
「シャチトレーナーさんに、どうしたらトレーナーになれるのか聞いてみたい。」
とはいえ、憧れの人に自分から話しかけるのは、大人でも緊張するものです。娘も「どうやって声をかけたらいいんだろう」と、ずいぶん悩んでいました。
ショーが終わった後、トレーナーさんが観客席の近くまで来るのを、娘はじっと待っていました。何度もタイミングをうかがいながら、「やっぱり無理かもしれない」と迷っているようにも見えました。
それでも意を決して、一歩前へ。
「どうすれば、シャチトレーナーになれますか?」
少し震えるような声で投げかけたその質問に、トレーナーさんは優しく答えてくださいました。
「まずは、競泳選手並みに泳げるようになること。そして、好きな勉強をたくさんしすることが大事だよ。」
夢を叶えるためには努力が必要だという現実。でも同時に、「好きなことを学び続けてほしい」という温かいエールでもありました。
話を聞き終えた娘の表情は、それまでの緊張が嘘のように晴れやかでした。憧れの人に自分の言葉で思いを伝え、答えをもらえた喜び。ほっとした安心感と、自分で一歩踏み出せた誇らしさが入り混じったような、どこか自信に満ちた顔をしていたのを覚えています。
「わからなくても一歩を踏み出せる人、そうでない人は大きな違いがあるよ。」
そんな話をすると、娘は何度も大きくうなずいていました。
今振り返ると、この出来事は娘にとって、「シャチが好き」という憧れが、「シャチトレーナーになるために何をすればいいのか」という目標へと変わった瞬間だったのだと思います。
シャチは、娘にとって単なる好きな生き物ではなくなっていました。
そして、その思いはこの後も冷めることなく続いていきます。
本を読み、水泳に取り組み、シャチについて調べ続ける日々。

この頃はまだ、娘の「好き」が家族を海の向こう側へ連れていくことになるとは、思ってもいませんでした。
📖 前後のお話
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